厚木市の概要
厚木市は、神奈川県の中央に位置し、6市2町1村に接しており、西部は山岳地帯が広がっています。この地域は古くから交通の要衝で宿場町として栄え、現在でも東名高速道路、小田原厚木道路、国道129号、国道246号の交点であり、県央地域の物流拠点となっています。
厚木のあゆみ
厚木市は相模平野の中央、また相模川右岸の洪積台地と沖積平野を含む広大肥沃な地域にあって、5、6千年前の縄文時代前期には人が住んでいたと言われています。
平安時代の仏教の伝播を物語るものとして、遺跡から発掘されている瓦塔片や、飯山金剛寺・船子観音寺などの仏像があり、この頃、南都仏教及び天台・真言宗などが伝わっていたことがわかります。
中世には、相模国(神奈川県)を北から南へ流れる相模川の東、海老名の地に国府を、また1200年には国分寺と国分尼寺が建立されました。当時、そこは大和朝廷から相模国府へ続く旧道が交差する、相模国の拠点だったそうです。
鎌倉時代には、源頼朝に仕える和田義盛をはじめ、愛甲氏や毛利氏などの愛甲武士が住んでいたそうです。しかし頼朝没後は幕府内部の対立が激しくなり、これら愛甲郡の御家人たちは滅亡し、市域内は北条氏の支配勢力に代わりました。「あつぎ」の地名が現在史書に現れるのは、この後の南北朝時代(1300年代)とされています。
鎌倉幕府滅亡後、勢力を伸ばしていた上杉氏でしたが、内部抗争のうちに、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が勢力を伸ばし、1516年、相模国を制覇しました。戦国大名北条五代は小田原城を拠点に支配を広げ、それに伴い交通が整備され、要衝には宿が開かれ、荻野の宿に六斎市が開設されるなど、多いに賑わいだします。
江戸時代、市域は旗本領、大名領及び幕府直轄領となっています。この頃の厚木村は宿場町・産業・生産物の交易場として栄え、「小江戸」として親しまれていました。
明治に入ると、廃藩置県施行に伴い、荻野山中藩は荻野山中県となり、荻野山中陣屋に県庁が置かれます。荻野山中県は設置から4ヶ月で足柄県に統合され、続いて足柄県も廃され、旧相模国の地域は神奈川県に編入されました。
関東大震災により、この地域も大被害を受けますが、小田急線(新宿〜小田原間)開通により京浜方面への往来が活性化したことを機に、まちはさらなる発展へ歩んでいきます。そして1955年、町村合併促進法により、市域の町や村が合併し、厚木市が誕生します。
以後、発展し続ける厚木市は、首都圏の一拠点として、厚木らしさの創造に向け、自然環境と調和した特色あるまちづくりを推進しています。
厚木の名前の由来
さまざまな諸説がありますが、この地が木材の集散地であったことから「あつめぎ」が「あつぎ」に変化した、またはアイヌ語のヤオロケシ(寄木)から名付けられた、ということがいわれています。
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| 厚木の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
厚木市郷土資料館 |
| 住所: |
厚木市寿町3-15-26 [地図を見る] |
| 電話番号: |
046-225-2515 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00 |
| 休館日: |
年末年始(12月29日〜1月3日) |
| 入館料: |
無料 |
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